月に2回、松本紹圭さんが開くお寺掃除の会「Temple Morning」に参加しています。
檀家でもなく、仏教に縁もないのに、朝7時半にお寺へ行って正信偈を読み、掃除をして法話を聞く…を続けて1年がたちました。
初めは筋肉痛になるほど力んでいた竹箒の扱いにも慣れ、帰る頃にはもう枯葉が散る光景に「これが諸行無常か」と笑い合うのも、以前は想像もできなかったことです。
色とりどりな落葉で焼き芋!と盛り上がって却下され、墓地の枯れた花を集めつつ雪の上に小鳥の足跡を追い、ほころぶ梅の香に梅上山の由来を尋ね、桜色の掃溜に心が浮き立ち、テラスを吹き抜ける青い風に掃除の手も軽くなる頃を過ぎると、東京タワーの麓の窪地には蝉時雨がふりそそぎ、やがてその亡骸が落葉に紛れます。
なぜお寺の掃除を?と聞かれれば「なんとなく憧れていたから」なのですが、四季の移ろいの中、ひと履きひと拭きするごとに、自分の居場所を拡げているのだと思うようになりました。安らいでいていいよと言ってもらえる場所を。
自分の為なのに、みんなが褒めてくれるので心苦しく思っていたら「そのまま受け取っていいんだよ。それは人に[誰かを褒める]という喜びの機会を与えたのだから」と、紹圭さんが教えてくださいました。
そんな阿弥陀様の小さな手招きに気がついた、お掃除の会が2年目に入ります。
文・ユミ山本
季刊・神谷町 21号(2018年9月)
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